冬田の時季と副題
時季 | 三冬(初冬・仲冬・晩冬) 11月・12月・1月 |
副題 | 冬の田・冬田道・休め田 |
冬田の解説と俳句での活かし方
冬田は、稲刈りが済んだ後の、何も作らずに休ませてある田んぼ。
乾いた田の面に枯れた刈り株が並んでいる冬田も、冬靄が疎密を作りながら揺らいでいる冬田も、雪にすっぽりと覆われ、畦のところだけ少し盛り上がっている冬田も、皆、趣深い。
蕭条とした冬田の景は、寂しさの中に凄まじさも滲む句を、俳人に詠ませる。
ところどころ冬田の径の缺けて無し
高浜虚子
缺けて:欠けて
注)原句の「ところどころ」は、くり返しの記号を用いて表記
冬田越しに巷つくれる灯かな
富田木歩
巷:世間・まち
陽の入りも日の出もおなじ冬田かな
伊藤柳山子
父の骨冬田の中を帰りけり
大串章
とんびより湖魚墜ち来たる冬田かな
凡茶
植田、稲田、刈田など、田を表現する季語は様々あるが、冬田という季語は、さえぎるものの無い開けた空間を特に表現しやすい。
冬田という広々とした舞台の上で、人や物を斬新かつ巧みに動かしてやると、独創的で面白い俳句が生まれる。
我がものと雁がね落つる冬田かな
大魯
家康公逃げ廻りたる冬田打つ
富安風生
冬の田も遊べり鶏と犬を容れ
鷹羽狩行
冬の田のリアカーを抜く三輪車
凡茶
季語随想
教職時代、変わり者の私は、せっかくの休日に有名な観光地へは行かずに、東北の冬田道を歩くために遠出したことが幾度かある。
さえぎる物の無い冬田道を歩くと、風が冷たくて耳がちぎれそうになるが、それでも歩く。
雪の遠野郷では、冬田の中を何時間もかけて歩き、カッパ淵だの、コンセイサマだのを見て回った。
山形では、なだらかで乳房のような形をした月山の雪化粧を見ながら、冬田の中の一本道を延々と歩いた。
月山へバイク遠のく冬田かな
凡茶
宮城では、あえて全く聞いたことのない町を選び、駅を出てから何時間か、黙々と吹雪の田圃道を歩き続けた。
そんな冬田道歩きを通して、私は二つのことを悟った。
一つ、人間は寒くなるとトイレに行きたくなる動物である。
二つ、都会と田舎の最大の違いは、すぐに行けるトイレがあるか、無いかである。
おわりに
ここまで当記事をお読みいただき、ありがとうございました。
筆者の暮らす町はワカサギ漁やフナ漁の盛んな湖に面しており、鳥が湖面から魚を引っ張り出して飛び去って行くのをよく見かけます。
ある冬晴れの日、湖畔の田んぼ道を歩いていると、突然魚が空から降ってきたため、とてもびっくりしました。
見上げると、鳶が一羽、高く遠くへ去ってゆくのが見えます。
上掲の「とんびより湖魚墜ち来たる冬田かな」の句は、その時の驚きを詠んだものです。
私も驚きましたが、鳶の方も私が現れて驚き、せっかくの獲物を落としてしまったのでしょう。
なんだかかわいそうなことをしたなあ…。
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