柿の時季と副題
時季 | 晩秋 10月・11月 |
副題 | 渋柿・甘柿・干柿・吊し柿・串柿・熟柿 |
柿の解説と俳句での活かし方
柿の原産地は中国と考えられているが、日本における栽培の歴史も古い。
日本の柿栽培は有史以前に始まったらしく、古事記や日本書紀にも記述が見られる。
晩秋、ある程度古くなった集落を歩くと、枝もたわわに柿の実がなっているのを、あちらこちらで見かける。
里古りて柿の木持たぬ家もなし
芭蕉
柿は日本人の食生活・食文化に最も浸透した果物である。枝の実が赤く色づき、もいだ柿が店先に売られ、干柿が軒に吊るされる晩秋の風景は、目にするたびに胸に迫る。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
よろよろと棹がのぼりて柿挟む
高浜虚子
注)原句の「よろよろ」は、くり返しの記号を用いて表記
店の柿減らず老母へ買ひたるに
永田耕衣
どことなく郷里に似たり柿景色
凡茶
柿には様々な種類があるが、口の中で渋み成分のタンニンが溶けない甘柿と、タンニンが口の中で溶け出す渋柿の二種類に大きく分けられる。
甘柿は木になっているうちに熟し、枝からもいですぐに食べられるため、木淡、木練などとも呼ばれる。
次の古句に詠まれた柿は渋柿ではなく、剥いたらすぐに食される甘柿の方であろう。また、「休み」の語は、休日ではなく休憩であろう。
まさかりで柿むく杣が休みかな
正秀
杣:きこり
渋柿は、渋抜きをしてからでないと食べられない。
渋抜きの方法はいろいろあるが、皮を剥いて天日に干す、干柿にするのが一般的である。干柿は吊し柿、枯露柿ともいう。
また、柿の実を串に刺して干したものは串柿と呼ばれる。これは正月の縁起物にもなり、その場合、鏡餅を三種の神器の「鏡」、橙を「玉」、串柿を「剣」に見立てる。
当サイトでは干柿(吊し柿・串柿)を「柿」の副題として扱うが、歳時記によってはそれでけで独立した季語として扱っている。例句も多い。
干柿やひつついて出る幼な星
大峯あきら
村人に倣い暮しぬ吊し柿
松本たかし
軒端にドレミドレミと柿吊るす
長谷川和子
串柿や老いてやまざる独語癖
上野可空
いかにも「日本的」な題材である柿を詠んだ句に、「ドレミドレミ」のカタカナ語を組み込んだ三句目は実に大胆。
こういう俳句を生み出せるようになりたいものだ。
干柿以外の渋抜きの柿としては、空いた酒樽に渋柿を納め、アルコール分によって渋みを抜いた「樽柿」、渋柿を塩水につけて温めたり、焼酎を振りかけて何日か置いて渋みを抜いた「さわし柿」もよく作られる。例句は少ないが、これらを題材とした句にも挑戦してみたい。
ところで、よく熟れて皮の中がとろとろに軟らかくなった柿は、木になっているものも、皿に乗ったものも熟柿と呼ばれる。
この語は、秋季の独立した季語として扱われることが多いが、当サイトでは柿の語の副題としてここで取り上げる。
いちまいの皮の包める熟柿かな
野見山朱鳥
熟柿つつく鴉が腐肉つつくかに
橋本多佳子
けんけんぱあぱあに熟柿の落ちゐたり
凡茶
また、収穫後に木の枝に一つだけ残された実は、木守、あるいは木守柿と呼ばれる。木守柿は「きもりがき」とも「こもりがき」とも読める。
木守・木守柿を秋の季語「柿」の副題として紹介する歳時記も多いが、筆者は独立した冬の季語と捉えており、後日別の記事で紹介したいと思う。

季語ばなし
子供の頃、近所に「ふく」というおばあちゃんが住んでいました。
ふくさんは子供が好きで、ふくさんの家に実る甘柿を物欲しそうに見上げる子がいると、もいで皮をむき、食べさせてくれるおばあちゃんでした。
私たちは晩秋になると、学校帰りにわざと遠回りしてふくさんの家の前を通り、もぎたての甘柿を食べさせてもらってから、野原へ三角ベースをしに出かけたものです。
やがて、ふくさんは他界し、ふくさんの居なくなった家では新しい住人が生活するようになりました。
子供たちは秋の楽しみを一つ失いました。
でも、その頃から、秋になると、不思議な女の子が私たちの町に現れるようになりました。
女の子は私たちより一つか二つくらい年下で、おかっぱ頭にもんぺを履き、一昔前の服装をしていました。
女の子の家には甘柿の木があるらしく、現れる時は、いつも柿を入れた紙袋を持っていました。
女の子は毎日姿を見せるわけではありません。
貧しい子が腹をすかせているとき…
弱虫の子が上級生にいじめられて泣いているとき…
悪さをした子が親に家から放り出されたとき…
そんなときだけ女の子は町に現れ、「遊ぼ」と一言だけ声をかけるのでした。
女の子は、上手に二個の柿の皮をむき、町の子に一つを差し出し、もう一つは自分でニコニコしながらほおばりました。
柿を食べた後、おはじきなどで遊んでやると、夕鴉が啼く頃には、女の子は「家へ帰る」と言って、満足そうに去って行きました。
幼い頃、秋になると必ずやってきたこの女の子も、私たちが小学生から中学生、中学生から高校生へと成長していく中で、だんだんと姿を見せなくなりました。
そして、大人になり、教職に就いた私は、もうすっかり彼女のことなど忘れていました。
そんなある日、町中が吊るした柿でいっぱいの干し柿の名産地を訪れた私は、日当たりのよい神社の石段に男女二人の子供が並んで腰かけ、柿を食べているのを見かけました。
女の子の方は、もんぺ姿ではありませんでしたが、幼い頃、私たちに甘柿を食べさせてくれたあの子と瓜二つでした。
女の子の隣では、べそをかいている男の子が、袖で涙をぬぐいながら柿を食べていました。
私はその様子をしばらく眺め、子供たちには声をかけることなく、温かい気持ちになってその場を立ち去りました。
今思うと、その女の子と同じところに、ふくさんもほくろを持っていたような気がします。
おわりに
ここまで当記事をお読みいただき、ありがとうございました。
上に掲げた拙句「けんけんぱあぱあに熟柿の落ちゐたり」は、もともと「けんけんぱあぱあに青柿落ちゐたり」という句でした。
青柿は、まだ色づかない柿の実を指す言葉で、夏の季語ですが、季語を青柿から熟柿に改めた方が、句の描く像の焦点がはっきりとし、印象に残りやすい作品になると感じたので、思い切って変化させてみました。
うまくいったでしょうか?
さて、最後になりますが、下に並べた「秋の季語・植物」「果物・木の実の季語」などのタグをクリックすると、関連する季語を紹介するページが一覧で表示されます。
ぜひ、ご活用ください。