はじめに
俳句をやらない友人たちとの酒の席であったにもかかわらず、なぜか俳句の話で場が盛り上がってしまったことがあります。
この時、知っている俳句を銘々が挙げていくというゲームが始まり、私は、その俳句が正しいかどうかを判定する審査員に祭り上げられました。
その時は、しぶしぶ審査員を引き受けるふりをしましたが、俳句に全く興味の無い友人たちがどんな俳句を挙げるか、たいへん興味深かったので、内心はわくわくしながら、場の成り行きを見守ることにしました。
その結果、誰もがすぐに思い浮かぶ俳句、あるいは、誰かに言われると、「知ってる、知ってる」となる俳句が存在することがわかってきました。
そこで私は、この日以降、俳句をやらない人に、知っている俳句はないかと聞いてみるようになりました。
そして、誰もがすぐに思い浮かぶ俳句5句、誰かに言われると「知ってる、知ってる」となる俳句10句、計15句を自分なりに拾い上げることができました。
大人数にアンケートをとり、その結果を集計したわけではありませんから、私の選に異論をお持ちになる読者も多いことでしょうが、興味があったら、遊びに付き合う程度の気持ちでこの記事をお読みになっていただけると幸いです。
なお、15の俳句は、知っている人が多そうな順に番号をつけて並べてありますが、あくまで筆者凡茶の感覚であり、厳密なものではありません。
誰もがすぐに思い浮かぶ5つの俳句
01.古池や蛙飛こむ水のおと
芭蕉
この俳句の知名度が圧倒的でした。松尾芭蕉が閑寂枯淡の境地で生み出した日本人の宝とも言える一句ですね。
02.閑さや岩にしみ入蝉の声
芭蕉
知名度の高い俳句なのですが、「閑さ」を「しづけさ」として覚えてる友人が結構いました。正しくは「しづかさ」です。
この句が詠まれた山寺(宝珠山立石寺)の参道で食べた玉こんにゃくとサクランボの漬物、美味しかったなあ…。
03.柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
古都の風格と鄙の素朴さを併せ持つ奈良の、秋の風情を詠んだ俳句。ほんのり寂しさも滲み、好きな句です。
04.目には青葉山ほとゝぎすはつ松魚
素堂
初夏に初鰹が食卓にのぼれば、必ずと言っていいほど口をついて出る俳句です。
と言うより、この一句が初鰹の人気を不動のものにしたとも考えられます。
05.痩蛙まけるな一茶是に有
一茶
「是に有」は「これにあり」と読みますが、「ここにあり」として覚えている人も多いようです。
それにしても、誰もがすぐに思い浮かぶ俳句5句のうち、2句が蛙の俳句というのも面白いですね。
誰かに言われると「知ってる、知ってる」となる10の俳句
06.菜の花や月は東に日は西に
蕪村
宇宙的なスケールを感じさせる、与謝蕪村の名句中の名句。
若い頃、毎年のように菜の花畑に出かけ、この俳句を超える菜の花の一句をひねり出そうと頑張りましたが、相手が悪すぎました。
07.降る雪や明治は遠くなりにけり
中村草田男
明治100年の頃、すなわち昭和の中頃に、至る所で引用されて、国民の心に焼きつきました。
実際に明治の時代を知っている人たちは、昭和の時代にどのような感慨を持って、この俳句を口にしたのでしょうか…
08.夏草や兵共がゆめの跡
芭蕉
人間が自らの築き上げたものを滅ぼしてしまったら自然に帰るだけ…
私は『おくのほそ道』の俳句の中では、この句が一番好きです。
09.我と来て遊べや親のない雀
一茶
小林一茶の句は現代人の感情にもストレートに響きます。
同じ一茶の「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」も、多くの友人が知っていました。
10.目出度さもちう位也おらが春
小林一茶
「ちう位」は「中くらい」と読みます。
いったいどれほどの日本人が、新年にこの俳句を口にしてきたことでしょう。
筆者も、今年の正月は中くらいでした。
11.梅一輪一輪ほどの暖かさ
嵐雪
まだ寒い頃に、梅が健気に咲いているのを見ると、本当に愛おしくなりますよね。
12.是がまあつひの栖か雪五尺
一茶
注)「雪五尺」は積雪約150㎝。
長年にわたり継母と遺産を争った小林一茶の境涯を知っていると、胸に迫る俳句です。
ただ、多くの現代人は、努力して手に入れたマイホームについて語る時に、「これがまあ、ついの住み家か…」の部分だけを皮肉っぽく用いるようです。
13.雪の朝二の字二の字の下駄のあと
捨女
今の歳時記にはあまり載っていないのですが、年配の方はこの俳句を聞いたことがありました。
この句、田捨女が六歳の時に詠んだ作品と言われていますが、実際は彼女の句でないとする説もあるようです。
14.朝顔に釣瓶とられてもらひ水
千代女
有名な句ですが、正岡子規が酷評して以来、駄句との評価を受けることが増えてしまいました。
当時名句とされていたこの句を最初に批判した子規はさすがですが、右へ倣えで後々まで駄句扱いされ続けなければならないほどの凡作なのでしょうか。
理屈っぽい、作者が己の優しさを自慢している、朝顔の擬人化が安易、等々の評価をよく見ますが、私は、初秋の朝の落ち着きや、江戸時代の市井の人情が感じられる名句だと思っています。
少なくとも、どの歳時記にも載らなくなってしまうのはあまりに惜しい、後世に残したい一句であると言えます。
なお、作者の加賀千代女は相当な美人であったと伝え聞きます。
15.春の海終日のたりのたりかな
蕪村
団塊ジュニア世代の知人たちが、この俳句をよく知っていました。
どうやら、彼らが学生だった頃の教科書に載っていたようです。
ただ、いくつも俳句が載っていた中で、この句が特に彼らの頭に残ったのは、「ひねもすのたりのたりかな」の部分の調べが、とても聞き心地の良いものだったからでしょう。
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さて、俳句をやらない人でも知っている名句を15句見てきましたが、いずれも平明でリズムが良く、心にすんなり浸みて来る作品でした。
そして、皆が表現したいと思っている(でもなかなか上手く表現できない)真を、端的に示してくれている感じがします。
これらの俳句は、これからも多くの日本人に愛され続けていくことでしょう。
+1(おまけの一句)
ところで、もう一句、多くの人が知っている俳句として挙げてくれたものがあります。
それは次の一句。
松島やああ松島や松島や
実はこの句、狂歌師の田原坊という人が作った「松嶋やさてまつしまや松嶋や」の「さて」が「ああ」に置き換わり、あたかも芭蕉が詠んだ句のように後世の人々に伝わってしまったものらしいのです。
松島の絶景に圧倒され、ついに俳句を作れなかったという『おくのほそ道』のエピソードが、いつの間にか、「絶景を前に、芭蕉は感動のあまり、“松島やああ松島や松島や”と詠むよりほかなかった」という内容に、すげ替えられてしまったのでしょう。
俳句をやらない多くの友人が、芭蕉の残した一句であると信じて疑わずに、この句を挙げてくれました(笑)。
おわりに
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この記事は、筆者がかつて運営していたブログ『季語めぐり』に掲載していたものを、加筆修正して再びアップロードしたものです。
当時は多くの読者に訪れていただける人気記事でした。
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