麦の秋の時季と副題
時季 | 初夏 5月・6月初旬 |
副題 | 麦秋(ばくしゅう)「むぎあき」とも読む |
麦の秋の解説と俳句での活かし方
小麦、大麦などの麦類は、晩秋から初冬にかけて種をまき、冬と春の間育てる。
そして、初夏になると畑いっぱいに穂が揃い、収穫期となる。
この、麦の実りの時期を麦の秋という。
一昔前まで麦は、米の端境期の食料不足を補うために、米と異なる時期に収穫される、生きるための糧であった。
ゆえに江戸時代の俳諧には、生死、飢え、貧しさなどを意識して詠んだ麦の秋の句が多い。
疱瘡する児も見えけり麦の秋
浪化
疱瘡:天然痘のこと。
病人の駕も過けり麦の秋
蕪村
麦秋や一揆起こした村ぞこれ
嘯山
麦秋や子を負ひながら鰯売
一茶
次の現代俳句にも、その名残がみられる。
麦秋や乳児に噛まれし乳の創
橋本多佳子
麦の秋無縁の墓に名をとどめ
橋本多佳子
文鎮の青錆そだつ麦の秋
木下夕爾
さて、現在の日本で麦は、パン、ケーキ、パスタ、ラーメンなどに加工する飽食の時代を象徴する食材となった。
こうした時代の変化に合わせ、飢餓、病、死、窮乏などを詠んだ麦の秋の句は減り、金色の麦畑の美しさを意識して詠む作品が増えてきた。
一枚の空一枚の麦の秋
小島花枝
麦秋を頒つ大河でありにけり
古賀幸子
東京の中の遠出や麦の秋
西宇内
以下、美しい実りの季節を示す「麦の秋」という季語と、その他の事物とを取り合わた現代の作品を、いくつか掲げておく。
教科書を窓際におき麦の秋
桂信子
麦秋の子がちんぽこを可愛がる
森澄雄
麦秋の風が愉しき驢馬の耳
草間時彦
アトリエに未完の裸婦や麦の秋
原田かほる
フランスパン立てて売らるる麦の秋
長谷川久々子
麦秋やミルクあたため一休み
凡茶
季語ばなし
学生時代を過ごした都市の郊外には大きな公立の図書館があり、その周りには麦畑が広がっていた。
当時、家庭教師のアルバイトをしていたが、初夏のある日曜日、その図書館で高校生の教え子とばったり会い、数学やら英語やらの勉強を見てやることになった。
そのうち、進路やら、友人関係の悩みやらに話題が移ったので、周りの迷惑にならぬよう、麦畑に沿う道を散歩しながら話を聞くことになった。
金色の麦畑を見渡し、その向こうの新緑から吹いてくる風を浴び、開放感に浸りながら歩いていると、ついつい、教師と生徒であることを忘れ、歳の近い若者同士の会話のようになってくる。
適度な距離感を保たねばと、時々、不自然に、先生らしい口調に戻る。
おそらく向こうもそうだったのだろう、時々、思い出したかのように生徒らしい口調に戻る。
そして、しばらく歩いて気がつくと、また歳の近い若者同士の会話が弾んでいる。
小一時間生徒と歩く麦の秋
凡茶
おわりに
ここまで当記事をお読みいただき、ありがとうございました。
この、麦の秋の記事を書きながら思いついた駄句を一つ、ここにて披露させてください。
UFOの影落ちてゐる麦の秋
凡茶
ちょっと戯れが過ぎたかな…(笑)。
さて、最後になりますが、下に並べた「初夏の季語」「5月の季語」などのタグをクリックすると、関連する季語を紹介するページが一覧で表示されます。
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