七種(春の七草) 新年の季語・人事

七種(春の七草)

七種(春の七草)の時季と副題

時季新年 正月 1月
副題七種粥ななくさがゆ(七草粥)・七日粥なのかがゆ薺粥なずながゆ七種打ななくさうち薺打なずなうち七種ななくさはやす・なずなはやす

七種(春の七草)の解説と俳句での活かし方

せりなずな御形ごぎょう繁縷はこべらほとけすずな蘿蔔すずしろ・これぞ七草」という物覚え歌がある。このうちの菘はカブ、蘿蔔とはダイコンのことである。

七種ななくさのはじめの芹ぞめでたけれ
高野素十

七種のすずなすずしろ母は亡し
森潮

一月七日(人日じんじつ:五節句の一つ)に、これら七種ななくさ(春の七草)を入れた七種がゆ(七草粥)を食べると、万病にらなくなると言われる。

天暗く七種粥の煮ゆるなり
前田普羅

俳句では七日粥なのかがゆという用い方もする。また、七種のうちのなずなを代表させて、薺粥なずながゆと表現することも多い。

炬燵こたつ居の二草あらぬ七日粥
角川源義

日曜のラヂオはしづか七日粥
凡茶

淡雪のはしざわりなり薺粥
素丸

薺粥椀のうつり香よかりけり
鈴鹿野風呂

薺粥仮の世の雪舞ひそめし
飯田龍太

***

古来日本人は、唐土とうどの鳥、すなわち大陸から渡ってくる鳥は、疫病などの災いをもたらすと考えていた。もしかすると、大陸の鳥がインフルエンザ等を運んで来ることを、経験的にわかっていたのかもしれない。

一月七日の早朝か、前日の六日の晩に、鳥追い、すなわち、唐土の鳥を追い払うための行事として、あえて大きな音を鳴らしながら、七種粥に入れる七種をまな板の上で叩き刻む儀式のことを七種打ななくさうち、あるいは薺打なずなうちという。これらも俳句にまれる新年の季語であり、歳時記では薺打の方を使った例句をよく見かける。

ことことと老の打出す薺かな
村上鬼城
注)原句の「ことこと」は、くり返しの記号を用いて表記

八方の岳しづまりて薺打
飯田蛇笏

次の古句は、七種粥を作って食べる行事が、鳥追いの行事であることを踏まえて鑑賞すると、面白みが理解できる。

七種や跡にうかるゝ朝がらす
其角

唐土の鳥を追っ払うための七種を摘んだ跡の地で、日本の留鳥であるカラスが、のびのびと楽しそうにしているという内容だ。

七種打、薺打は、例えば、次のようなはやし歌を添えて行われることが多い。

七草なづな 唐土の鳥が 日本の土地へ 渡らぬ先に 七草なづな

囃し歌の文句は地方によって少しずつ異なるが、歌い出しは「七草なずな~」である場合が多いようだ。

七草なづな母の唄声木曾訛きそなまり
成瀬櫻桃子

囃し歌にのせて行う七種打、薺打については、七種ななくさはやす、なずなはやすという季語でも表現される。

宵薺囃よいなずな はやせばおどねずみかな
伊藤松宇

俎板まないたむまでなずな打ちはやす
長谷川かな女

七草をはやしをへしと起さるる
皆吉爽雨
をへし:終えた

***

七種粥に入れる春の七草の青(若々しい緑色)は、まだ寒さの厳しい新春においては、自然界においても、食卓においても希少きしょうな色である。
そのため、その瑞々みずみずしい色にスポットを当てた俳句も多い。いくつか挙げておこう。

薺粥はしにかゝらぬ緑かな
高田蝶衣

あおあおと春七草の売れ残り
高野素十

勾玉まがたまのみどり恋しきなづな粥
野見山朱鳥

おかはりの青増してをり七日粥
凡茶

次の古い句も、生命力あふれる七草の青を喜んでいる。

夏野より七くさ深き雪間ゆきまかな
蓼太

さて、七種粥は、鳥追いのほかに、正月のご馳走ちそうに疲れた胃腸をいやす役目を担うため、それをんだ句には優しさのにじみ出てくるような作品が多い。

七草のはこべらつぼみもちてかなし
山口青邨

病室も常の日となる薺粥
古賀まり子

七草やはにわの里の薬売り
中元惠子

また、万病を遠ざけ、元気な一年を過ごすための七草粥を詠んだ俳句は、読者を「くすり」とさせる「くすり」となることもしばしばである。

七草やけはひしかけて切り刻み
野坡

七草や女ぞろひの孫曾孫まごひまご
遠藤梧逸

七草の苗札立ちて何もなし
石川桂郎

季語随想

かつての日本では「若菜み」という行事が盛んに行われていた。
七種粥ななくさがゆに入れる春の七草をみ取る行事だ。

この若菜摘みは、私のようなおじさんの手では行われない。
若菜摘みは、若い女性の手で行われるのがよしとされた。

現在は、この若菜摘みを行う家庭などほとんどない。
当然のことだ。新暦しんれきを西洋から取り入れたため、新年が真冬にやってくるようになってしまったからだ。

日本がまだ旧暦きゅうれきを採用していた時代、新年は立春の前後にやってきた。まさに新年イコール新春であった。

その頃になると、寒い北国は別として、日本の広い範囲で春の七草を摘み取ることができた。
正月が厳冬にやってくる今の日本では、若菜摘みと七種粥の行事をあわせ行うことはできない。

思えば、新暦の導入は、多くの行事と季節を分断してしまった。

現代日本では、桃の花が咲く旧暦三月(四月頃)ではなく、新暦三月に桃の節句が行われる。
そして、星の美しい初秋(八月頃)ではなく、梅雨の真っただ中の新暦七月に、七夕(星祭)を行う地方が増えた。

はたして、このまま旧暦を過去の物として葬り去ってもよいのだろうか?

グローバル化が進む今、世界共通の新暦を捨てて、日本だけ旧暦に戻せなどという鎖国的なことは言わない。

ただ、新暦と旧暦を公的に併用し、五節句(旧暦1月7日の人日、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の菊の節句)のような季節と結び付いた行事は、昔に返り、旧暦で行うようにしたらどうか。

旧暦の節句当日を祝日にするなどして。

おわりに

ここまで当記事をお読みいただき、ありがとうございました。

凡茶(当サイトの筆者)の家では、少し変わった七種粥(七草がゆ)の作り方をしますので、ここでは、それを紹介したいと思います。

凡茶風七草がゆ

① 「あご」(乾燥させたトビウオ)または「鰹節かつおぶし」で取っただし汁に、うすくち醤油で味付けをした、「ツユ」を作っておく。

② 次に「春の七草」をよく洗い、細かく刻む。

③ ②の刻んだ七草を、①のツユに入れ、さっとく。決して煮すぎない。煮すぎると若菜の風味が飛ぶ。

④ 丼に飯を盛り、七草を入れた③のツユをひたひたにかける。飯を煮ないのが凡茶流。その方がさらっとしていて、七草の風味が飯に邪魔されない。

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